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佐賀の長崎街道を歩く:「呉服元町から白山」編 [故郷(佐賀)を歩く]

長崎街道案内 呉服元町から龍造寺八幡宮.jpg


 柳町から来た道は大財通りの呉服元町交差点を横切り、呉服元町から白山へと進みます。明治・大正時代は江戸時代からの水運の影響も残っていたことから柳町周辺が特に栄えたようですが、昭和恐慌を経て、柳町が疲弊した後は街の中心が西に移動していきます。昭和8年、呉服元町に佐賀玉屋百貨店が開業しました。周囲には多くの銀行も進出し、近くの松原神社北側に各映画館も開館、中小の各種専門店も立ち並ぶ佐賀では一番の通りに成長していきます。
 その後、昭和30年後半には呉服元町から白山までの長崎街道沿線の商店街に約1キロのアーケードが設置されました。佐賀玉屋は昭和40年に新しくできた中央大通りに移転しましたが、昭和41年6月からは「さが銀天夜市」も始まり、佐賀市民が押し寄せる、本当ににぎやかな通りとなりました。この頃は、昭和39年に開業した日祐との効果もあり、商店街・佐賀玉屋・日祐・映画館・復興通り飲食街と回遊型商圏が出来上がっています。
 昭和47年には白山にダイエーが出店し昭和49年に南里本店が新築オープン、昭和54年には窓の梅・寿屋が開業し、これが街のピークであったようです。
 平成に入りモータリゼーションから商業地は郊外型に移って行きます。長崎街道の道幅そのままに発展してきたアーケード街は、自家用車では逆に不便となり、結果平成10年ダイエー佐賀店撤退、対応策としてエスプラッツが同年開業するも平成15年に一時閉鎖(平成19年再開)、平成11年は南里本店閉鎖・寿屋佐賀店撤退・佐賀銀行呉服町支店移転があり、平成17年にはスーパー窓の梅が閉店、日祐の後にできたマルキョーも平成25年に閉店しました。ここは平成28年10月「バルーンミュージアム」として公共施設で再生されました。
 長崎街道沿線の各商店街の振興組合や協同組合はメイン商業施設の閉鎖や空き店舗の増加に伴い機能不全となり、アーケードの維持が出来ず、七夕が毎年飾られた栄光のアーケードも平成22年迄に撤去されています。
 *呉服元町に進む・・・・昔は違う看板だった様な?
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 *晒橋・・・欄干にガス灯が復元されています。軽犯罪者を晒した橋とも言われてます。旧古賀銀行から晒橋までの街道筋は、昭和36年(1961年)まで蓮池町でした。
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 *佐賀藩本陣跡・・・長崎へ向かう大名・旗本・幕府の役人が宿泊。今はマンション!
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寛政末期、この地に住んでいた御用商人、野口恵助の自宅を借り受け、佐賀藩の本陣として使用していましたが、その後、藩は隣接屋敷の買収などを重ねて、ご書院・寝所・御次・家老屯など数多くの部屋を備えた呉服町本陣屋敷がこの地に整備されました。
 
 *開運さが恵比寿ステーション・・元美穂野文具店の空き店舗に平成26年2月オープン。800体以上ある街角恵比寿の情報発信基地。
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 *みちしるべ恵比寿・・ここから街道は北に進みます。
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 *欄干橋・・松原神社の東側に「欄干茶屋」があり、本陣と茶屋をつなぐ橋が架けられていました。道しるべ恵比寿から街道とは反対に南に下った所にあります。橋の先、左手には「モンブラン竹下」・「南里本店」があり、手前には「金ちゃん(うどん屋)」「積文館書店」がありました。写真右手前の深川製磁佐賀店は昭和の姿を留めています。当時、車止めの上にはアーケード入り口の大きな看板があり、アーケードが連なる風景が脳裏にある昭和40年から平成10年代の同窓には不思議な風景でしょう。現在左手前の一角は全て空き店舗で、危険な状態です。
欄干橋.jpg
欄干橋 2.jpg
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 *旧佐銀呉服町支店・・昭和9年竣功。当時は佐賀中央銀行、昭和30年7月に佐賀中央銀行と佐賀興業銀行が合併して佐賀銀行となり、その呉服町支店となった。以前はアーケードで全体が見渡せなかったが、今は堂々とした外観が見て取れます。
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旧佐銀呉服毎支店 2.jpg

 *南里本店跡・・銀行の斜め向かいの風景。一休軒が復活し、サガン鳥栖の公式スポーツバーが平成25年12月にオープンしています。
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サガン鳥栖ショップ.jpg

 *むつごろう(656)広場・・平成22年6月新生オープン。アーケード撤去に伴い滑りにくい床など改修されています。ここには昭和30年後半まで、協和銀行(現りそな銀行の前身の一行)佐賀支店がありました。写真左手。右手には佐賀大学のまちづくりサテライト「ゆっつら~と館」が平成14年11月にオープンしています。
むつごろう広場.jpg
ムツゴロウ広場.jpg

 *二階屋に横丁の入り口が今だ健在。
二階屋 横丁入口.jpg
呉服町 横丁内部.jpg
中央マーケット 入口.jpg

 *佐賀玉屋旧店舗・ミヤコ佐賀店跡・・今は駐車場。佐賀玉屋があった時、先隣は旧住友銀行佐賀支店がありました。
旧佐賀玉屋・ミヤコ佐賀店跡.jpg
路地に埋め込まれた案内.jpg

 *窓の梅・寿屋跡・・・戦前は食料品が豊富な「窓の梅デパート」、戦後はスーパーとなり、最盛期に2階以上に寿屋が入居しましたが、平成に入り寿屋撤退の後、平成17年に閉店しています。平成25年1月、佐賀県国保会館が跡地に移転新築されました。
佐賀県国保会館.jpg

 *この先で街道は西に向きを変えます。来た道を振り返ってみます。
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 *街道は元町に入ります。昭和の道筋にあった高柳楽器や桃太郎玩具店など、多くの商店が見当たりません。ここから街道は拡幅されています。この一角だけは、長崎街道の道幅より自動車での回遊が優先されて、現代風な街並みとなっています。
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 *上林茶店は今も健在。
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 *一寸寄り道、正保以前の古い長崎街道沿いにある願正寺・・山門と格式ある五本線の高塀
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 *参道に「種痘の先駆者 大石良英 墓所」と「振風教校跡・佐賀龍谷学園発祥地」の記念碑があります。
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 *時鐘・・・江戸中期より昭和初めのころまで、町民・市民に時の鐘を鳴らしていたそうです。
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 *願正寺本堂・・・明治16年8月、初の佐賀県議会が開かれ、その後通算7回議会が開催されました。
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 ☆意外と、アーケードのすぐ近くに大寺院がある事を知らなかった同窓も、いるのでは?

 *エスプラッツ白山から北に街道は進みます。
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 *一度頓挫した施設は公共機関が入居し再出発しています。
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 *香蘭社佐賀呉服町元店はモダンな店舗に建て替わっています。
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 *白山商店街にはアーケードが残っています。ここから、また西に向きを変えます。
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 *エスプラッツ白山の鬼門を守る恵比寿さん「長崎街道恵比寿」。
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 *白山商店街、ダイエー佐賀店跡には平成26年4月に「佐賀商工ビル」がオープンしました。
白山商店街と商工ビル.jpg
商工ビルとエスプラッツ.jpg

 *白山商店街通りの南側には、中央大通りより「ハローワーク佐賀」・「佐賀商工ビル」・「エスプラッツ白山」が連なります。
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 *中央大通りの風景・・昭和40年8月に中央橋よりお堀まで開通した佐賀のメインストリート。昨年「中央大通り再生計画」が提示され、今後街並みが変わるとみられます。既に福銀佐賀支店は唐人町(正式は駅南本町)に今年移転しています。
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 *白山恵比寿神社・・・地域の活性化として、平成11年1月本殿遷座祭、2月に落成祭を斎行。商工ビルより右先の鈴蘭橋に向かう「すずらん通り」にあります。
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 *町のお風呂屋さん跡・・白山恵比寿神社から鈴蘭橋を渡った正面に残っています。左右の入口には、「女」・「男」の文字が微かに読めます。
鈴蘭橋.jpg
鈴蘭橋 全景.jpg
お風呂屋さん 跡.jpg

 *白山商店街出入口・・・・長崎街道はここから中央大通りを横切り、龍造寺八幡宮に進みます。
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 ☆白山商店街・中央大通り出入口の左手に「鍋島更紗の由来」説明版があります。
 説明文・・・・鍋島更紗は古く佐賀に伝わる優美な染織品。
 工房は佐賀銀行白山支店付近にあった。*佐銀白山支店は現在ATM店舗。
 慶長年中、朝鮮出兵から帰国の折り、鍋島直茂が連れ帰った高麗人九山道清が伝えたという。道清はのち九山左衛門と改名、藩の庇護を受け、諸大名や幕府への献上品をつくった。技法は木版ずりと型紙ずりを併用した独特なもので、色染めも精巧を極めた。文様は動植物を図案化したもの、有職文様風、インド更紗風など多様であり、鍋島藩窯の色鍋島や鍋島緞通の文様にも共通するものがある。
 更紗製造は世襲であったが、五代目で男子の血統が絶え、知人の江口半兵衛が継承、半兵衛更紗といわれた時代もあった。その後、漢方薬本舗でもあった江頭兵右衛門が受け継ぎ、明治を迎えたが、存続できず、工房は廃絶した。現在、古い更紗資料は県立博物館に一部コレクションされている。廃絶の鍋島更紗の復元に故鈴田照次氏(染織家)が努力されたことはよく知られている。
 
 *中央橋から中央大通りと白山商店街出入り口を見る。
白山商店街 中央橋.jpg

 *中央橋より唐人町を見る。・・唐人町では昭和34年に両サイドに佐賀で初めてのアーケードを設置されました。その後佐賀駅が高架となり駅前商店街の機能が希薄となったこともあり、地域再生として昭和60年アーケードを撤去の上、道路拡幅・電柱の地中化などの再生事業を進めましたが、昭和最盛期からの店舗は少なく、多くが入れ替わっています。
中央橋 より 唐人町をみる.jpg

 *市政100周年記念の観光地図モニュメント・・中央橋から北島本店に向かう歩道上にあります。制作年:平成元年11月15日。
平成元年の観光案内モニュメント.jpg
平成元年の観光案内図.jpg

 ☆母校に在学中、同窓は各々、呉服元町から白山までの商店街を幾度となく行き来した事でしょう。書店・レコード・楽器店・電気店及びパーツ店・スポーツ用品店・玩具及びプラモデル店・うどん屋ラーメン屋餃子屋・ジャズ&クラシック喫茶店、洋装店などなど、当時通ったお店の大半は無くなっているように思われます。相変わらず空き店舗の市内中心部ですが、ここ数年で大きな変化も見られ、また今後も再生事業が進められるようです。
 既に佐賀市民ではなくなっていますが、思い出多い地区の再生に、大いに期待しています。
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