SSブログ

歴史と私 Ⅳ [会員コラム]

西高六回卒 増岡昭憲

 柏原歴史会は、先生が依然病気で中断中である。
 歴史講座の方はとゆうと今年三月に調査した太平寺古墳近辺に散乱してた鉄滓がこの付近で製鉄をしていた事は柏原歴史会でも指摘していた。
 樋井川から砂鉄を採取して製鉄を行っていたらしい。「ヒイガワ」とゆう川は古事記にも出てくる。
砂鉄などの鉱物のとれる川や山には修験者などが入り、それは恐ろしい伝説を作り、人々が入り込まない様にして独占していたらしとの事だ。
 私の家の横の樋井川も古代には「おろち」等が出たのかな?
 
 福大院生の発表は斉明天皇の話である。
 白村江の戦で百済が唐と新羅によって滅ぼされると、北部九州の防衛を固めるために、最近豪雨で被害のあった朝倉に遷都する。
その前に筑紫に仮宮をこしらえるだが、当時の筑紫は天神や中洲地区は海の中であり、薬院あたりが船着き場だったとのこと。
 ここから上陸して、娜大津の磐瀬行宮に入る。これは記紀にも書かれている。
暫らくこの仮宮に滞在し、朝倉の朝倉橘広庭宮に遷して、百済復興の戦に備えた。しかし、程なくして朝倉宮で崩御する。
 朝倉橘広庭宮に都が置かれたのはわずか2か月余りということになる。娜大津の磐瀬行宮は今の高宮あたりである。
 朝倉橘広庭宮や娜大津の磐瀬行宮の所在地は現在、具体的な場所は特定されていない。
高知県県高知市にある朝倉神社の社伝では、朝倉橘広庭宮は同社にあたるとしている。歴史的地理的に見て全く説明がつかないが、これが日本の伝承と歴史であろう。
橘廣庭宮之蹟.jpg
 *「朝倉市須川1271」に奈良時代の寺院跡である長安寺廃寺跡が公園化(橘の広庭公園)され、朝倉橘広庭宮跡<伝承地>と言われています。廃寺跡の発掘調査で大規模寺院の蹟は確認されましたが、宮跡の確証は出なかったようです。

 それは置いといて地名も「高宮」と宮がつくのだろう。たぶん高い場所に仮宮があったのではないだろうか。
仮宮にしろ、福岡には歴代天皇の御所があったのだから、すごいといっちゃすごい話である。
福岡には香椎の仲哀天皇の御所が今の香椎宮の裏手にある。それと同じような御所が高宮近くにあったのだ。
高宮の由来もそこから来ているのかな?宮ノ下なる地名も気になる。
我が柏原地区の近くにかつて天皇の御所があったのである。
世が世であれば高宮に足を向けて眠るなど、バチが当たるかな~

 話はコロッと大変りするが、6回生の愚友仲間の川端氏から勧められた本をアマゾンで購入して読みました。
 今までの話とは違い近世の満洲の話です。終戦時の満洲国の話はよく映画や本で拝見しているが、
これは日本がグローバルに世界に先駆けて近代国家を作ろうとしていた話です。本のタイトルは「満州国文化物語」副題はユートピアを目指した日本人。もともと満洲は清の時代にロシアが領土を獲得してロシア領にしていた。
 日露戦争の時に米国が介入して日本の領土となったのである。
 米国は日本を利用してここで鉱物や穀物の一大マーケットを作りたかったようである。
 満洲には米国のシカゴ穀物取引所を凌ぐ満洲穀物取引所の構想があったとずいぶん前に日経新聞の「私の履歴書」で読んだことがある。
 当時日本国内には閉鎖的な純和風の文化が根付いていたが、どっこい満洲には相当な金額を注ぎ込まされて国際的な都市や文化が花開いていた。
 満鉄などは世界最速のスピードを誇っていた。しかも食堂車のウエイトレスは金髪美人のスレンダーなのロシア人が働いていて大変人気があったらしい。
 また五族共同で仕事も殆んど差別などなく、近代的な雇用条件だったらしい。
文化面では日本国内では古めかしい芝居や民謡歌謡曲が演奏されていて娯楽もほとんど古めかしいような、江戸時代の延長的な文化だったが、満洲では西洋的なクラシック音楽にジッズやダンスや映画などの文化が花開いていた。
 それぞれの分野の芸術家もずいぶん満洲で活躍していたみたいである。
 日本の戦前戦後の財界政界の黒幕も満洲でずいぶんと富を蓄えて、基盤を築いている。
 国策会社も満鉄、満映を初め近代的な給料の高い会社が多かったとのこと。
 関東軍が跋扈しだしてから、米国との仲がおかしくなり、利権が関東軍に移り次第に国際的に看過できないような方向へと進みだす。
 中国人向けに麻薬を製造販売したり、やがて決して勝てない戦争へと段々傾斜していく。
 終戦時のソ連の侵攻と中国人による日本人への虐殺は映画や書籍で数多く取り上げられているので、いやとゆうほど目にしている。
 平和で素晴らしい欧米に先駆けた文化と経済を花開かせていた満洲は終戦と同時に封印され抹殺された。
 *満州文化物語(集広舎)のHPhttp://www.shukousha.com/?s=%E6%BA%80%E5%B7%9E%E6%96%87%E5%8C%96%E7%89%A9%E8%AA%9E
 
 私の大好きなサザンオールスターズの桑田さんの父親がかつての満洲で活躍していたらしい。
 その時のことを聞いて、作った曲が「流れる雲を追いかけて」だ。
 原由子ボーカル曲
日本国統治時代の満州が舞台となっており、幼い子供を持つ女性の心模様が歌われている。
桑田が満州からの引揚者であった父親の話を聞いて制作した曲である。
♫♫~
 *ザンオールスターズのHP
 https://www.sas-fan.net/mob/titl/tracShw.php?site=SAS&ima=1642&cd=A903502201
~♫♫ 」

 是非ノスタルジックなユートピアを彷彿させる「満州国文化物語」一読を~
 
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:地域

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント