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昭和の面影、昭和33年松竹映画「張り込み」ロケ地等を歩く。 [故郷(佐賀)を歩く]

 まずは松原町周辺を歩きます。中心部の交通混雑解消のために、郊外を迂回・周回するバイパス道の周囲は開発が進み、人の流れが郊外に拡大した結果、市内中心部は衰退し、時が止まった区域が点在しています。
 昭和の面影が残っている場所もあれば、平成に入り変貌してきた場所もありますね。
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 ・「松原マーケット」の今!
 戦後「徴古館」の土地および佐嘉神社境内地を引揚者の方々に貸し出してバラックが建ち並ぶ闇市が出来ました。その後「松原マーケット」と呼ばれる商店街に発展しました。
 昭和47年7月発行の「佐賀市白山町商店街診断報告書」では、競争相手の商店街として、松原マーケットは店舗数「77店」・買い回品「20店」・最寄品「24店」および飲食とサービス「33店」の規模で、食料品主体の街区で市内有数の飲食街である、と記されています。
 その後、近くにあった市役所が佐賀駅近くに移転、城内公園化構想から、地権者である鍋島報校会も廃業時に更新しない方針をとり、近年は廃業店舗の解体も進み空き地が広がっています。
 ・整備されつつある徴古館の周囲、北濠城内より。
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 ・取り壊された店舗跡は駐車場になっています。
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 ・貫通道路からの入り口にある人気の饅頭屋さんは健在!閉めた店もあれば、頑張っている店もあります。
貫通道路 商店街の入り口.jpg
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・昭和の家屋と平成のマンション(平成13年・2001年、完成、15階建て)
松原マーケット 昭和の家屋と平成のマンション.jpg

 ・昭和の旅館と平成のマンション 旅館の手前は公園化されています。ここには戦後、親和銀行佐賀支店がありました。
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 ・広場の東側は「復興通り」
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 昭和30年代、松原2丁目界隈には映画館が立ち並び、東映・日活・東宝・松竹・洋画の有楽会館などがありました。佐賀大映だけは、貫通道路沿いの福岡商店ビル辺り(水ケ江)でした。東松原(新馬場)には「平和映劇」、市民会館前には「朝日映画」がありました。また、駅前西通りには「駅前東映(名画座)」、紡績通り角に「若草映劇」、唐人町に「昭和映劇(昭和東映)」がありました。
 福岡市内では中州に映画館が集中していましたね。国体道路と50m道路(昭和通り)との間に、昭和32年当時16館の映画館が林立していました。今は大洋映画劇場だけになっています。
 ・佐賀東映 映画館跡 今はマンションになっています。
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 ・閉館したセントラル会館は昭和30年代、有楽会館や有楽オスカーがありました。
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 ・佐賀松竹(松竹世界館)今は駐車場です。奥の「セントラルプラザ」には佐賀東宝がありました。セントラルプラザ・東隣の駐車場は当時「レストラン赤玉」でした。
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レストラン赤玉 跡.jpg
 ・「セントラルプラザ」!3階に中心部唯一の映画館「CIEMA」が頑張っています。
佐賀東宝 セントラルプラザ.jpg
 ・佐賀日活 今はセントラルパレスで飲食ビルになっています。
佐賀日活 セントラルパレス.jpg
セントラルパレス .jpg

☆さてここから本題です。映画つながりで! 
 昭和32年(1957年)、今から半世紀前の秋に佐賀市内で映画のロケがありました。松本清張の短編を映画化した「張り込み」です。
 松竹映画 監督:野村 芳太郎 脚本:橋本 忍 音楽:黛 敏郎 主な出演:大木 実、宮口 精二、高峰 秀子、田村高廣。
 上映は翌昭和33年1月でした。日本の映画館入場者数は昭和33年(1958年)に年間11億人に達し、入場者数がピークになった年です。昭和34年の皇太子殿下・美智子様のご成婚パレード実況中継でテレビが爆発的に売れ、プロレス・野球・相撲など映画では太刀打ちできないスポーツ実況生中継がテレビの存在価値を高めました。更に、テレビドラマでもVTR収録が始まり作品の品質が向上し始めたことなどから、以後映画館入場者数は減少の一途となります。
 「張り込み」では、 佐賀駅、護国神社周辺、県庁前、旧佐賀警察署、中の小路、松原通り、松原神社、呉服町、材木町などでロケがあり、60年前の風情が物語の背景に描かれています。
 特に尾行のシーンでは、母校の旧正門・図書館・講堂の一部が背景に確認できます。この当時、母校から貫通道路までの道など市内の主要な道は未舗装だったことがよく判ります。
 ストーリーの後半、尾行のシーンには、護国神社北の多布施沿いの小路、県庁前、母校前の通り、県知事公舎の角、日本勧業銀行佐賀支店がある中の小路交差点、松原川沿いの松原小路、松原町・呉服町界隈が登場します。
 ストーリーに準じて今の風景をご紹介します。
 *「張り込み」はDVD&Blu-rayが発売され、レンタルもあります。(店頭にないことが多く、ツタヤなど取り寄せ可能な店舗がお薦め)
■ストーリー :東京で発生した強盗殺人事件の容疑者(田村高広)の元恋人(高峰秀子)が後妻として佐賀に嫁いでいたことから、立ち寄る可能性が高く、刑事二人(大木実、宮口精二)が佐賀に出向き、嫁ぎ先向かいにある旅館の部屋で張り込みをする。単調な日常生活の連続で犯人が接触してくるのか、刑事二人に焦りがでるが、張り込み予定最終日に犯人が接触し、追跡の上、逮捕となる。

 ・冒頭、一昼夜かけて横浜から佐賀まで夜行急行列車でのロングシーンがあります。満員で真夏の風情をドキュメントタッチで描いています。電気機関車から山陽本線では蒸気機関車の雄姿に替わり、瀬戸内、広島駅・小郡駅・関門トンネル・博多駅の当時の風景が見られます。博多駅は先々代のホーム・改札が登場します。その後に懐かしい旧佐賀駅に到着、グリコの広告塔ロータリーがチラリと見えます。
 ・新山口駅(旧小郡駅)
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 ・劇中の蒸気機関車と同じC591型、当時急行雲仙を牽引。
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 ・当時の板張り客車のイメージ
木製板張り客車.jpg
 ・当時の関門トンネル専用電気機関車。山陽・鹿児島本線が未電化の昭和30年前半、関門鉄道トンネルは既に開通時の昭和17年から電化されていましたので、下関と門司で機関車の付替えがありました。
関門トンネル専用電気機関車.jpg

 ・旧佐賀駅前、現在の「駅前交番西交差点」
駅前交番西交差点 1.jpg
駅前交番西交差点.jpg
 ・翌日、佐賀署に挨拶に出向く。城内の空撮、県議会議事堂ドームと佐賀警察署が映るショットから警察内部での挨拶場面、その後警察前から、バス停のシーンとなります。警察署前の交差点(信号機など無し)、昭和バス・初代トヨタクラウンが通る中をすり抜けてバス停に向かいます。背景に北濠の貸しボート遊びが見られ、懐かしいです。今、佐賀警察署は移転し佐賀県警本部になっています。
県警本部前交差点.jpg
県庁前 バス停.jpg
 ・刑事二人は、元恋人が後妻に入った家がある場所へ向かいます。護国神社前から多布施川沿い(瓦葺店舗もあれば西進し、茅葺店舗も見られます)に西進し、三角橋を渡ります。近年、国道264号が妙安寺小路から紡績通りへ拡幅新設され、三角橋にも安全確保の欄干が付けられています。劇中では、多布施川の棚路で洗い物をする姿がバックに見られます。
護国神社 太鼓橋前.jpg
護国神社 多布施川沿い.jpg
平成の初め頃までは撮影当時の姿でした。多布施川沿いの道にもガードレールが設置され、棚路も埋め込まれています。
三角橋 多布施川 埋められて棚路.jpg
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三角橋 親柱.jpg
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三角橋 1.jpg
三角橋 多布施川 .jpg
 ・監視対象の家の前が旅館だったことから、二階の一室で張り込みに入ります。この後にやっと映画タイトル「張り込み」が映し出されます。当時映画を見た全国の方々は、これで如何に「佐賀が東京から遠い所にある街」か実感したのではないでしょうか。
      ↓イメージ写真(長崎街道・伊勢屋町)
肥前屋 イメージ.jpg
 ☆見張りの為に宿泊する旅館「肥前屋」でのシーンは松竹大船撮影所で撮られています。
 
 単調な生活の中、決まった時間に買い物に行くシーンでは、撮影当時「日峯さんの縁日」で興行していた矢野サーカステント前(東堀埋め立て広場)、東魚町・新道商店街(県病院北通り)?の商店街が背景に使われています。 ・東濠跡の駐車場(1時間100円、24時間)
東濠 埋立地.jpg
 ・東魚町
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 ・新道商店街(県病院北通り)一角、好生館跡地に「健康検診センター等の複合施設」が建設中。
水ケ江商店街 好生館跡.jpg
  
 原作にはありませんが、高峰秀子演じる後妻さんが、夫の代わりに焼香に出向くシーンとなります。当時の佐高・西校舎正門前から本願寺前、材木町の佐賀劇場前が「材木町市営バス停」として(フィクション)登場し、国道34号線・神崎手前の大町橋バス停を降りて、唐香原(からこうばる)に歩いて行くのを刑事二人が尾行します。
西高 旧正門前.jpg
 ・佐賀劇場(昭和41年に閉館)の跡には借家長屋などが建てられています。当時の橋は架け替えられ「劇場橋」と命名されています。劇中では、懐かしのボンネット市営バスが登場します。*佐賀市交通局のホームページに撮影当時のバス写真がありますよ。
佐賀劇場 跡.jpg
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 ・「劇場橋」には佐賀劇場の面影が埋め込まれています。
劇場橋 近影.jpg
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 ・現実の「材木橋バス停」は、貫通道路の材木橋を挟んで、佐賀共栄銀行本店前など東西にあります。
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 ・神埼市本告牟田、国道34号線大町橋付近の今!西鉄久留米駅&信愛女学院行と、昭和バス三瀬車庫前行が運行しています。
大町橋バス停 西鉄バス.jpg
大町橋 バス停.jpg
 ☆原作者の松本清張は北九州小倉出身ですが、清張夫人の地元は神埼町・大町橋近くの農家で、戦時中疎開していました。出征していた清張もここに復員しています。芥川賞を受賞し東京に出て、社会派推理小説で活躍した松本清張ですが、意外にも、佐賀平野の地理や風情に精通していたようです。
 
 後妻さんが歩いたバス停から日の隈山へ延びる道は田んぼの中の一本道でしたが、現在では日の隈山まで、道の東側は桜並木が続きます。
日隈への桜並木.jpg
 ・唐香原の集落に歩き進みます。
唐香原 入口.jpg
唐香原集落 入口.jpg
唐香原集落 .jpg
 
 ☆唐香原集落を通る道は「平山 古代官道」であり、太宰府から吉野ケ里を通り肥前国府に通じていました(西海道)。 
 
 ・ 農家の庭先での葬儀に参列し、道端から刑事が覗くシーンとなります。
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 ☆現在の唐香原集落に、撮影当時の風景は見られませんが、大町橋から唐香原に向かう途中に「横武クリーク公園」があり、くど造り民家が保存公開されています。
横武公園.jpg
くど造り民家.jpg
横武公園 くど造り民家.jpg

 ・「張り込み」次のシーンは雨が降り出し、後妻さんが主人の勤務先へ傘を届ける場面となります。これは柳川で撮影がありました。 

 ・張り込みも予定の日数が過ぎ、刑事の二人も諦めかけた時、傘直しに変装した犯人が現れ、時間をずらして外出する後妻を刑事一人が尾行します。三角橋、県庁前、母校前・本願寺正門前、県知事公舎角、旧勧銀佐賀支店前交差点、松原川に沿って、松竹宇宙館、松原神社前の浮立面踊り、呉服町、国鉄佐賀駅、祐徳バスターミナルが映し出されます。 ・撮影当時の楠木?県庁前の大楠
県庁前の大楠.jpg
 ・元恋人に会う為か、日傘をくるくる回しながら門前を通っていくのが印象的。
本願寺佐賀教堂.jpg
 ・裁判所前交差点、県知事公舎角の塀の丸みは今も同じ。
知事公舎 角.jpg
 ・今は佐賀玉屋南館が在りますが、旧勧銀佐賀支店前交差点が登場します。
 ☆勧銀佐賀支店は昭和41年(1966年)9月17日深夜、金庫室が破られ当時の金額で3200円が盗まれてました。犯人は捕まらず時効になっています。2年後に東京府中にて3億円事件が発生するまで国内現金盗難事件で最高額でした。
佐賀玉屋別館 角.jpg
 ・県庁通りから松原川沿いの道に入り松原町を進みます。シーンでは写真館の看板が目につきます。
松原川 松原小路 角.jpg
 ・松原川は市民が水に親しむ親水公園となって、遊歩道も整備されています。
松原川 遊歩道.jpg
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 ・中央通り開通後進出した日祐の跡はマルキョウが入っていましたが撤退、平成28年(2016年)10月、佐賀バルーンミュージアムとして、再スタートしています。
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松原川 バルーンミュージアム&裸婦像.jpg
松原川 佐賀バルーンミュージアム.jpg
 ・旧嬉野家の武家屋敷門(薬医門)が平成27年度に保存修理、嬉野家(当時は多久蔵人屋敷)の西隣には創設時の「弘道館」がありました。東隣はシーンに看板が見られた写真館。
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 ・佐賀県教育会館?らしき建物を通り抜けます。佐賀県教育会館は昭和53年(1977年)3月、高木瀬町に移転して、今では15階建てのマンションが建っています。
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 ☆マンションの前立つ河童の手に触れると、松原川に架かる河童橋が放水します!!
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松原川 河童橋 放水.jpg
 ☆松原川では鯉が放流されています。
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 ・松原川沿いに日峯さんで賑わう街が映し出されます。今では静かな通りです。
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松原川 松原通り 1.jpg
 ・松原神社前の通りで、「浮立」が群衆の中で舞われる中、刑事は群衆に阻まれて、後妻さんを見失います。今は平屋のフラワーショップになっていますが、シーンには「お肉屋さん」が映っています。ここの一角には後に「金ちゃんうどん」が在りましたね。
松原神社 前.jpg
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 ☆昭和を通じて市内で最も人通りが多かった通りも、書店が移転し、呉服町のアーケードも撤去されたりして、様変わりしています。
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 ☆松原神社の大鳥居。「張り込み」で新人助監督だったのが「山田洋次」でした。彼の代表作である「寅さんシリーズ」の「42作・男はつらいよ ぼくの伯父さん」昭和64年12月公開で、佐賀・小城を地方の舞台とし、「張り込み」と同じ日峯さんの祭り風景と境内での浮立踊りを取り入れています。「張り込み」から30年後、今から約30年前の風景が見られます。
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松原神社 太鼓橋.jpg
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 ☆「寅さん」でも「浮立」は登場し、この時は境内で舞われています。
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・後妻さんを見失った刑事は呉服町から佐賀駅に向かいます。喫茶晩翠、南里本店店頭が確認できます。晩翠・南里本店(道路左)・ミキヤ洋品店(道路右角)跡。
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呉服町 通り 1.jpg
 ・駅では見つからず、駅前の祐徳バスターミナルでの目撃情報から、多久にタクシーで追います。タクシーでの追跡シーンでは、佐賀平野の空撮が登場。原作では古湯(原文要約:川北温泉、S市を流れている川の上流)を連想しますが、ロケハンで不採用となり最終的に大分の宝泉寺温泉で撮影されています。

 ☆松本清張は、映画化された中で気に入った作品として「張り込み」・「黒い画集 あるサラリーマンの証言」・「砂の器」を上げています。
 ☆「張り込み」は昭和33年「キネマ旬報」第8位。
   第7位は小倉を舞台にした「無法松の一生」でヒロインはここも高峰秀子、第19回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞。
 ☆原作:松本清張、監督:野村芳太郎、脚本:橋本忍のトリオで、この後数々の作品が映画化され、集大成として昭和49年(1974年)10月公開「砂の器」が公開され、キネマ旬報年間第2位となっています。この時、脚本は橋本忍&山田洋次でした。
 
 ■松原などの街中散策に戻ります。更に水ケ江方面に歩きます。

 ・松原神社大鳥居前、昭和を代表する繁華街の一角でパチンコ店が連なっていましたが、今は更地です。
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「一休軒本店」は昭和30年から親しまれた老舗のラーメン店でしたが平成23年(2011年)8月14日閉店。向かいには対照的に親水公園が整備されています。左手の洋館風建物は公衆トイレ。
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洋館風公衆トイレ.jpg
 ・新馬場通り(松原神社参道)、大財通りからの参道入り口には、木製鳥居がありましたが、「シロアリ」により昭和43年頃撤去されています。参道入り口左手は「松川屋」。森鴎外「小倉日記」に登場し、鴎外が泊まっています。また昭和32年10月、映画「張り込み」の撮影時の宿舎にもなっています。
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 ・松原参道入口向かいには、明治27年(1897年)から昭和14年(1939年)9月まで、佐賀米穀取引所がありました。戦後タクシー会社本社が有りましたが、今では外食チェーンの店舗&駐車場になっています。
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・取引所跡地東に残る重厚な煉瓦塀
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 ・水ケ江交差点、昭和30年から40年代にかけて市内でも交通量の多い交差点でした。昭和46年(1971年)に箱型歩道橋が設置され、人と車の混雑解消が図られました。只、同時期に北部・南部バイパスが完成し、人と車の流れが分散したこともあり、障害者や高齢者に優しい街づくり・バリアフリーの観点から平成11年に歩道橋は撤去されています。
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 ・片田江交差点「椎小路・説明版」
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 ・閉鎖が決まった寿商店街 平成29年6月で60年の歴史に幕を下ろします。大財通りと貫通道路に出入り口があるL型ミニ商店街で隆盛期は20店舗ほど有りましたが5店舗に減少、店主の高齢化もあり商店会を解散するようです。
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寿通り商店街 通路.jpg
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 ・水ケ江・片田江商店街 シャッターを下ろした店舗も多い中、「大隈重信生誕地」商店街をアピールしています。
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片田江商店街 大隈記念館前 バス停.jpg
 ・バス停も「大隈記念館入口」になっています。以前は「県立病院東門」平成25年(2013年)4月変更。
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 ・大隈重信記念館:生誕125周年記念で昭和41年11月落成、昭和42年10月開館 平成27年2月館内リニューアル。
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 ・重信候生家(国史跡名勝天然記念物)
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 ・江戸時代の侍町割り説明版「片田江小路」
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 ・新道商店街 県立病院が移転し市民会館が閉館し、商店街のランドマークが無くなり静かな通りです。昭和の時代、此処も活気が有りましたね。商店街案内図を見ると、卒業写真の撮影をした写真館などが確認できます。
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 ・新道商店街から東に進むと市村記念体育館の裏手に出ます。昭和38年(1963年)、市村清氏寄贈により佐賀県体育館として開館、平成4年(1992年)に寄贈者を記念して「市村記念体育館」に名称が変更されています。
 昭和39年(1964年)9月15日、長崎県からの聖火は西有田村(当時)で佐賀県ランナーに引き継がれ、国道35号から34号線を進み、午後6時半前に市村体育館の2階ブリッジに到着しています。翌16日、県庁を出発し基山町で福岡県に引き渡しています。
 また昭和40年(1965年)2月、佐高最後の第16回卒業式もここで挙行されています。
 体育館前には円形の大噴水が有りましたが、今は撤去され芝生が張られています。
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 ・県庁展望室より、松原町・水ケ江町を望む。
県庁展望室より東方向.jpg


 □今回ご紹介しました映画「張り込み」は、レンタルなどで鑑賞されることを重ねてお勧めします。映像特典では20年弱前の佐賀市内の風景が見られます。三角橋はまだ欄干がなく、呉服元町アーケードも健在です。

☆ 参考資料
 ① 佐賀市史        https://www.city.saga.lg.jp/main/2599.html
 ② 佐賀の歴史・文化お宝帳 http://www.saga-otakara.jp/
 ③ 佐賀市歴史探訪     https://www.city.saga.lg.jp/main/3859.html
 ④ 佐賀県立図書館デジタルデータベース 近代地図目録:佐賀市(大正~昭和30年代)
 ⑤ 徴古館収蔵品データベースと佐賀御城下絵図(翻刻図)文化年間
 ⑥ 佐賀県立図書館 ゼンリン住宅地図 昭和30年~40年代
 ⑦ 新潮社:松本清張傑作総集より「張り込み」
 ⑧ 松竹DVDコレクション「張り込み」本編116分 映像特典19分 
 ⑨ 北九州市立松本清張記念館「松本清張と映画」
 ⑩ 西村雄一郎のブログ:ドキュメント「張り込み」①~㉞
 ⑪ 佐賀新聞社 デジタルライブラリー
 ⑫ 九州鉄道記念館
 ⑬ 佐賀市営バスブログ
 ⑭ 佐賀市、神埼市HP
 ⑮ 松竹DVD 第42作 男はつらいよ ぼくの伯父さん
*福岡栄城会では、同窓会員の方々の投稿をお待ちしております。
・特に佐高の諸先輩方からの「思い出」特集を企画したく、
投稿よろしくお願いいたします。
投稿先 eijo.fukuoka@gmail.com

タグ:張り込み
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