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佐賀の与賀神社参道を歩く [故郷(佐賀)を歩く]

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 与賀神社から西に延びる参道は、直線で約1200mほどにて、与賀神社下宮に至り右に曲がるとすぐに昭栄中学校前交差点となり、貫通道路に出ます。参道は江戸期には与賀八丁馬場小路と呼ばれた武家地や、八丁馬場、道祖元町の町人町がありました。また参道筋は天祐寺川沿いに本庄町へと進んでいき,西与賀町の厘外津(りんげつ)に至り、ここから船で諫早に向かえたのですから、佐賀藩専用の「海の長崎街道」でもありました。
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 *与賀(與賀)神社・・神社の境内には樹齢千年以上の楠木があり、有明海に向けて拡大してきた土地開拓の守護神として鎮座しています。三の鳥居は慶長8年(1603年)建立、石橋は慶長11年(1606年)建立、楼門は室町後期の造立と伝わり、どれも国重要文化財となっています。
與賀神社 石橋 楼門.jpg
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 ☆本殿・幣殿・拝殿は(1758年)造立にて、平成25年6月国登録重要文化財に認定されています。
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 ☆樹齢1400年超と伝わる大楠(ご神木)と宝壽森稲荷神社。稲荷神社の石祠に「安永き庚子六月二六日」(1780年)の刻印がある。
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 ☆少弐神社・・與賀神社境内東側に鎮座しています。祭神は少弐政資公(しょうにまさすけ)で、太宰府長官であったが山口の大内氏との抗争に敗れ、佐賀に落ち伸び、先考(亡父)少弐教頼が築いた與賀城(現在の龍泰寺周辺)を文明14年(1482年)修復し居城とした。その時、城の鬼門に当たる当神社を鎮守社としたと伝わる。室町時代の肥前守護職で、竜造寺・鍋島氏は当時その被官でありました。昭和27年、楼門解体修理を記念して当神社の再興と郷土開発の守護神として祀られて現在に至っています。
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 *龍泰寺・・與賀神社の南南西、徒歩で500m程にあります。龍造寺隆信が少弐氏の館跡(與賀城址)に永禄6年(1563年)に菩提寺として建立。本堂は佐賀の乱で焼失を免れた佐賀城本丸の「玄関・式台等」を大正初期に移築したものです。
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龍泰寺 本堂.jpg

 *大隈重信墓所・・龍泰寺山門手前に東手にあります。東京都文京区の護国寺にもあります。大正11年(1922年)1月10日死去し1月17日に日比谷公園での国民葬には、30万人の会葬者が集まったようです。
 ☆大正10年東京都人口:383万人であったことから、大隈候の人気が分かります。また自宅から日比谷公園まの霊柩自動車で行進し、多くの市民が沿道で別れを惜しんだと言われています。
 その半月後、陸軍元帥・首相など明治政府の要職を歴任し、長州最後の巨頭と言われた山縣有朋公が2月1日死去、2月9日に同じ日比谷公園にて国葬が行われたが、民抜きの国葬と言われ、大隈候の葬儀との違いが新聞記事になったほどでした。同じ護国寺にお墓があります。
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 ☆大隈候の県民葬は、遺髪が届いた2月26日に県庁を中心に葬列が巡り市民1万人が別れを惜しんだようです。大正10年佐賀市人口34,744人。
 
 *江頭幾三郎先生之碑・・境内墓地の一角、江頭家墓の隣にあります。碑は昭和6年4月に佐賀成美高等女学校卒業生有志により建立されています。碑文によりますと、江頭幾三郎氏は昭和6年1月3日に病没、75歳。小城中学校・佐賀中学校を経て成美高等女学校校長を歴任、温厚な方で卒業生からの尊敬の表れとして、没後直ぐに顕彰碑が建てられています。
 ☆小城高校の同窓会誌「黄城」では、明治18年3月、小城郡立小城中学校が廃校になった時に江頭幾三郎氏が当時の在学生の為に「黄城義塾」を開設、のちには県立小城中学校設立に尽力されたと、紹介されています。
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 *辻の堂・・與賀神社から北に150m程で辻の堂交差点に出ます。交差点の角には、昭和12年(1937年)に建てられ、今では閉店していますが、木造入母屋造りの角に円筒を配置した個性的な二階家は交差点のシンボルとも言えます。
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辻の堂 島薬局 裏手.jpg

 *与賀神社に戻り、参道を進みます。
門より参道を見る.jpg
太鼓橋より参道を見る.jpg
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  *清和高校東交差点(現:与賀神社西入口)・・この地にあった女子高2校は、与賀町交差点よりの県道54号拡幅工事に伴い、それぞれ移転しました。佐賀女子高等学校は、平成25年4月に旧佐賀市営球場跡地に新築移転。清和高等学校も平成26年4月に兵庫北に新築移転しています。
 跡地には、郊外型スーパーと「TSUTAYA積文館書店佐大通り店」が平成27年11月にオープンしています。これに伴い「積文館書店佐賀南バイパス店」は閉店。積文館といえば、多くの同窓は今は無くなった松原の積文館が思い出されるかもしれませんね。
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 ☆県道54号・与賀町交差点から佐賀大学前交差点までの風景は、この数年で一変しています。
 ☆与賀町交差点
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 ☆貫通道路・与賀西バス停より。佐賀女子高等学校(旧:佐賀旭高等女学校)の校舎が見えてたのですが。
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 ☆県道は広い歩道を併設した2車線に拡幅されました。この先は、佐大前交差点で、佐大学舎が見えています。
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 ☆佐大前交差点も大きく変わっています。旧制佐高時代からの正門風景として、梅雨時期の道路冠水が思い出されますが、この点も改善されたのでしょう?
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 ☆佐賀大学美術館:旧佐賀大学と佐賀医科大学の統合10周年記念事業として、平成25年10月に開館。入館無料、月曜日休館。
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 *参道に戻り西に進むと直ぐに二の鳥居があります。慶長9年(1604年)建立。江戸期には鳥居右手に与嘉神社の下宮がありました。
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 ☆二の鳥居手前、左手の小路(泰長院門前南北小路)を南に一寸寄り道。
 *山口亮一 旧宅・・東京美術学校を卒業後帰郷し、久米佳一郎や岡田三郎助らと佐賀美術協会を創設、同協会会長及び佐賀師範学校教諭を務め、昭和42年(1967年)没。旧宅を平成5年(1993年)佐賀市に寄贈されたが老朽化し解体の危機がありました。その後有志による保存運動や寄付が集まり、修復の上平成18年(2006年)開館しています。佐賀平野でよく見られる伝統的な家屋構造「くど造り」、築250年の武家屋敷です。
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山口旧宅 2.jpg

 *泰長院・・山口旧宅から右に進むとあります。天文5年(1536年)龍造寺胤久によって建立。第3代住職が鍋島直茂に従って朝鮮の役に従軍の上、通訳事務を担当したことなどから、当時の書状など県重要文化財12巻105通が伝えられています。
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泰長院文書 説明版.jpg

 *古賀精理・屋敷跡・・屋敷跡の説明版が、山口旧宅の先、清町小路にあります。古賀精理は藩校・弘道館創設時の教授であり、学規と学則を定め、藩校の基礎確立に貢献しています。寛政8年(1796年)47歳の時に昌平黌の儒官となり、寛政の三博士の一人と讃えられています。
古賀精里 旧宅跡説明版.jpg

 *水月寺・・慶長年間、鍋島直茂が坐禅堂として建立したお寺で、「葉隠」口述者・山本常朝の師である儒学者・石田一鼎の墓があります。
水月寺 門前.jpg
石田一鼎の墓説明版.jpg
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 *島 義勇 屋敷跡・・水月寺先角を西方向に150m弱進んだところに、清和高校体育館前に屋敷跡碑があります。
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 ☆島義勇は佐賀の七賢人の一人。この人は北海道開拓史初期のキーマンです。明治2年(1869年)11月、開拓主席判官として開拓本府建設の為、石狩の地(札幌)へ。まずは北海道神宮(当時は神社)の御霊代(開拓の三神)を祭る社地を選定し、真冬に雄大な構想力(京都を模した碁盤目区画や道幅100mの大通りなど)をもって都市開発を始めました。しかし、開拓史物資補給船「昇平丸」の難破沈没もあり、食料・建設資材の不足を補うべく当初の資金6万両を使い果たし、更に初代長官・鍋島直正(実務前に体調不良で辞任)の後任・東久世 通禧と開拓予算等で衝突、わずか三か月で罷免されています。
 当時の事を「北海道紀行草稿」に記しています。主に36点の漢詩からなり、現在では貴重な開拓史資料となっています。
 とても短い日々(100日)でしたが、今では「開拓の父」と崇拝され、札幌市役所1階ロビーに侍姿の銅像、北海道神宮境内手水舎の奥にも銅像があり、境内の開拓神社には、鍋島直正公とともに祀られています。また円山公園には、大正期に「佐賀の役」後の名誉が完全回復したことから、高さ8m程の石碑「島判官紀功碑」が昭和4年11月に建立されています。篆額は鍋島直映(12代)によるものです。建立に当たり、3500名程が寄付に名を連ねています。
 円山公園は古くから桜の名所ですが、佐賀の役で斬罪梟首された島を悼んだ開拓判官時代の道案内人・福玉仙吉により、明治8年神社の参道に150本の桜の苗木を植えたのが始まりです。
 北海道神宮の茶屋「六花亭」には、ここでしか食べられない銘菓「判官さま」という「そば入り餅」が売られています。
 ☆島義勇は弘道館に学び、3年間の遊学後、弘道館に勤務、その後に鍋島直正の側近となり、安政3年(1856年)9月、直正の命にて佐賀を出発、萩・津和野などの城下を見聞し(安政三年日記・記述)、安政4年4月から9月にかけて、箱館奉行・堀織部正利煕の調査団に随行し北海道・樺太を探検、「入北記(4冊(雲・行・雨・施)の内、雲以外は現存」を残しています。開拓使主席判官就任はこの時の経験を買われたとみられます。
 ☆七賢人での島の肖像は、不評で新たに北海道大学所蔵の衣冠束帯写真に変わりましたが、明治5年(1872年)3月秋田県の初代権令(知事)就任時、この衣冠束帯で出仕したと伝わります。同年7月には退官してしまいます。八郎潟開発(港及び干拓事業)の為16万両の借入を即政府に申し出、また医学教育の充実のため人材の派遣を当時の文部省に要請しています。しかし、恐らく要請がうまく進まず、明治政府中央と衝突し、今度は自ら退官したのでは!と思われます。秋田においても、「県の基礎を作った人」との評価があります。
 ☆「島義勇伝」:伝記漫画を札幌の(有)エアーダイブが出版しています。 

 二の鳥居に戻り、再び参道を西進します。
 *鶴屋・・二の鳥居の先左手に、寛永16年(1639年)創業にて藩御用御菓子司でもあった「鶴屋」があります。「丸房露」が有名ですね。因みに北島の丸ぼうろは「丸芳露」と表記しています。ポルトガル語の「ボーロ(bolo):焼菓子」に由来する南蛮菓子です。
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 *棚路(たなじ)・・田布施川水系の水路石垣護岸が整備されいます。生活用水を汲む階段施設です。
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 *肥前ビードロ・・嘉永5年(1852年)に設置された精煉方(理化学研究所)が明治に入り佐賀精煉合資会社に発展し、理化学用材から日用雑貨にいたるガラス製品を製造、そこに従事していた副島源一郎が独立創業、明治36年(1903年)道祖元町に工場を移転し、副島硝子工業株式会社として、伝統技法(ジャパン吹きガラス)を受け継いでいます。
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 *専修寺門前の風景・・この辺りは「道祖元町(さやのもとまち)」と言われた町人町でした。明治・大正にかけて、佐賀を代表する伊丹・深川一族の邸宅があり、専修寺の本堂は伊丹文右衛門が改築寄進したもので、伊丹一族の菩提寺でもあります。伊丹文右衛門が母屋を子息・伊丹弥太郎が庭園を完成させたのが、神崎にある伊丹家仁比山別邸「九年庵」です。特に伊丹弥太郎は「九州鉄道」・「九州電燈鉄道」・「東邦電力」の経営に深く関与、戦後それらの会社は、西日本鉄道(株)・九州電力(株)として今日に至っています。
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専修寺 門前.jpg

 *道祖神社・・与賀神社の末社で交通の神を祀っています。神社の説明碑には肥前ビードロで作られた説明ガラスが埋め込まれています。
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道祖神社 説明ガラス版.jpg

 *道祖元町歴史的建物群・・道祖元町は「海の長崎街道」の西の入り口栄えた街とも言え、久保田町から出た深川嘉一郎は海運業で大成し、明治26年にこの地に「地所株式会社(小作地管理・金融業)」を設立、明治期大いに繁栄しています。明治期の住宅である、山下邸・向かい合う二つの竹下邸(元深川邸)・延岡邸(伊丹分家)は歴史的建物群として、佐賀市景観賞を受賞しています。
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山下邸 建築.jpg
 ☆手打ちそば 二八が営業中
 *一の鳥居と与賀神社下宮(御旅所)・・参道の突き当りに、下宮があり、手前に一の鳥居「寛永17年(1640年)」があります。一の鳥居は昭和36年の道路工事前は300m程参道東に立っていました。下宮は大正期までは、二の鳥居近くにあったようです。
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与賀神社 下宮.jpg
 
 ☆例祭秋祭(おくんち) 10月第4日曜日
 御分霊が年に一度神殿を出られ、下宮まで氏子区域を台車2台に神輿を乗せて回ります。また、氏子青年団による厄払い獅子が、区域を舞います。
 ☆境内にある佐賀恵比寿神社での「十日恵比寿大祭」(平成29年1月9日・10日)において、佐高27会による特別祈願「エイ・エイ・エイ・オーの打込み」が佐賀新聞で紹介されていました。昭和47年1月に佐賀恵比寿会が発足し、年々盛んになってきているようです。博多区東公園内にある「十日恵比寿神社」の正月大祭では、長蛇の行列にもまれながら参拝する事を思えば、たまには佐賀でお参りも良いのかもしれませんね。
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☆与賀神社参道を歩く:参考文献等
  ① 佐賀市史・久保田町史  https://www.city.saga.lg.jp/main/2599.html
  ② 佐賀の歴史・文化お宝帳 http://www.saga-otakara.jp/
  ③ 佐賀市歴史探訪     https://www.city.saga.lg.jp/main/3859.html
  ④ 佐賀県立図書館デジタルデータベース 近代地図目録:佐賀市(大正~昭和30年代)
  ⑤ 島義勇伝:(有)エアーダイブ
  ⑥ 札幌市役所
  ⑦ 與賀神社
  ⑧ 北海道神宮
  ⑨ 大潟村役場・大潟村百科事典
  ⑩ 佐賀十日恵比寿大祭   http://ebisukai.sagafan.jp/




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