西高1回生 江口 浩二
梅雨空が続き、部屋の机の中の書類の断捨離を思いついた。
七十歳も過ぎるとそろそろ身の回りの片づけも必要だろう。
その時、古いゼンリン住宅地図(佐賀市中心部)新聞紙を広げた大きさのスポンサー提供による各家庭に配布された住宅地図が目に留った。今はときめく大企業になった(株)ゼンリン佐賀営業所の作成によるものだが、残念なことに作成年度が記載されていないのではないか。しかし、佐賀市中心部の詳細な地図に大いに興味がそそられた。
私の実家は中の小路にあり、その周辺にある商店名から地図の作成年度を探る事にした。まず佐賀玉屋だが、既に地図上では中の小路交差点に記載があるので昭和40年度以降である事は分かる。
佐賀玉屋の前のみずほ銀行の名前が第一勧業銀行佐賀支店とあるので、これが地図の作成年度の手掛かりになりそうだ。昭和46年10月に 株式会社日本勧業銀行と株式会社第一銀行が合併し、株式会社第一勧業銀行と商号変更しているから、地図の作成は昭和46年度以降である事が分かる。
復興通りの角にある天山酒店の前にあった喫茶店「もんせふり」も記載されている。ここには私の幼いころ回転饅頭の店があり、良く食べていたが1個50円だったような曖昧な記憶がある。
白山二丁目に目を転ずると、書店の「金華堂」がある。高校生の頃、タダ読みで何時間も過ごせたが、店員さんには迷惑がられた。
白山二丁目の東には「永池本店」がある小学校の同級の実家だ。遊びに行った時、勉強部屋が大きな酒樽で作られていて、大変驚いたものだ。
「永池本店」の南に「コイケスポーツ店」がある。「コイケスポーツ店」では野球のグローブを購入して貰った。私は目が極端に悪く、トンネルはするし、ボンフライは捕れないし散々だったが、社会人になり、会社の同僚との懇親ソフトボールではそこそこ役に立ち、親にはとても感謝している。
昭和33年の時代は映画ぐらいしか娯楽がなく、高峰秀子、田村高広等の有名人が佐賀に来たともなれば、そんな騒動も分かる気がする。
映画館と言えばこの住宅地図には「佐賀日活」「佐賀東宝」「セントラル会館」「平劇」の記載はあるが、いつ頃まで存在したのだろうか。
呉服元町には「大坪書店」、松原3丁目には「積文館」、良く利用させて貰った。
西高時代に立ち読みしながら、清純な?女子高生の姿にほのかな憬れを抱いたものだ。スマートホンもない、パソコンもない、カラオケもない時代に立ち寄るところは佐賀県立図書館と本屋しかなかった。
これらのことから推定すると古いゼンリンの住宅地図の作成は昭和54年から数年内だろう。今からおおよそ40年前と推察できる。
佐賀市内の様相は40年後の現在、大きく変容している。「おもちゃの植松」、喫茶店「もんせふり」、「コイケスポーツ店」、「佐賀日活」、「佐賀東宝」、「平劇」、「大坪書店」、「南里本店」、「窓の梅ショッピングビル」・・・・・これ以外にも無くなっている店は数多ある。
40年前のゼンリンの住宅地図を見ると、佐賀市の中心部はまるで『千と千尋の神隠し』のようだ。
「中央マーケット」「松原親和マーケット」の裸電球の輝きと行き交う人達の賑わい、乱雑に置かれた外国の缶詰、魚屋、野菜屋、餃子屋、肉屋、乾物屋、なんでもありの世界だった。
時代は変遷する。平成も終わりだ。
1枚の古いゼンリンの住宅地図から、思いを馳せた。
果たして将来グーグルマップから思いを馳せる事が出来るのだろうか。
*平成30年7月7日(土)から8月4日(土)まで、第53回「さが銀天夜市」が開催中!!
*佐賀西高校「栄城」5回生のホームページに1996年12月大晦日の佐賀市内の風景写真がアップされています。「佐賀の町並み」には「松原商店街」や「積文館」・「まだアーケードのある呉服町入口」などの当時が写っています。
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