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島 女 [西高1回生寄稿集]

西高1回生 中馬 蕭子

 私は福岡西一会に参加する様になって、“島女”と呼ばれる様になりました。私はこの呼び名が、凄く気に入っています。なぜなら私は「離島めぐり」が大好きだからです。
 今回福岡栄城会HPへの投稿を徳永治通さんから勧められ、なぜこれ程までに好きになったのか、自分自身の為にも、原点に戻って書いてみようと思います。
 思い起こせば、「島巡り」の原点は50年前の20才の時でした。佐賀の父からの一通の速達郵便です。
船旅.jpg

 その頃私は東京に住んでおり、正月休暇を目前に浮き浮きとしておりました。寮の友達には故郷より帰省のキップがどんどん送られてきておりました。私はお金の準備はしておりましたが、なぜか羨ましくなり、私は親に甘えたくなりました。その旨を親に連絡すると、折り返し直ぐに父から速達郵便が来ました。
“この資本主義の世の中において、お前みたいに甘い考えで-ーーーーー”との書き出しです。
 私は涙が溢れ出て止まりませんでした。
 “甘えてみた私がバカだった”。
 “わかっていたのに!”。
 もう今さら佐賀には帰れません。どうしようもない寂しさに襲われました。
 数日後、やりきれなくて“海でも見に行こう”と東京の竹芝埠頭にやってきました。 
 丁度その時、大島経由三宅島行きのフェリーがやって来て、つい飛び乗ってしまいました。200人程の客が乗船しておりましたが、大島の港に着くと殆んど降りてしまい、船にはおばさんと私の女性2人、それに十人程の男性釣人でした。
 “宿は決めているの?”おばさん。
 “ううん、決めていない”私。
 “じゃぁ~民宿しているから、うちに泊まり”
 “うん”
 そして三宅島に着きました。
 翌朝4時に起こされ、おばさんに勧められました。
 “釣りの人たちと一緒に磯釣りに行っといで!”
 大波が打ち寄せる岩場で、私は波にのまれない様にと、荒縄で体を縛られました。そして焚き火の傍で釣りを見ていました。
 荒海を見ていると、なんだか気持ちが少しづつ解れて段々と楽になって行く自分が居ました。
 翌日、島を一周サイクリングしましたが、その途中、爽やかな緑の木々の世界から、一瞬暗黒の世界に変わりました。以前火山の爆発して山の頂から海岸まで溶岩が流れ出して出来た場所なのです。平穏な佐賀に暮らしてきた私にとって驚きの世界でした。

 今現在私は、北の礼文島から南の与那国島など日本の周りの島を37個訪れています。
 振り返れば、若い時は苦しいときに島に逃げていた様で、結婚してからは楽しみながら夫婦で足を運んでいます。 

 50年間に訪れた島の内、強烈に印象に残っているのは、隠岐の島(島前の西ノ島)の国賀海岸です。摩天崖と呼ぶ257mの断崖絶壁です。垂直に海に落ちる崖は圧巻で、サスペンス2時間ドラマに最適な場所と言えます。
 その当時、柵もなく、風が吹いたら真っ逆さまに落ちてしまいそうな場所ですが、“どうしても真下を見てみたい”そんな衝動にかられました。周りを見ると誰もいません。それをいい事に寝転んで這いつくばって、そっと首だけを出してみました。「凄い、凄い・・」の一言です。想像は皆様におまかせします。

 今私達が住んでいる福岡にも、日帰りで楽しめる島が多くあります。肥前大島、地島、玄界島、能古島、志賀島、巌流島は行きましたけど、相島、小呂島等その他2~3宿題として残っています。景色が良かったのは、肥前大島の風車展望所です。又気分を変えたい時は玄界島を一周歩くことです。

 玄界島には4度行きました。この島は博多から市営渡船で30分で着きます。ほぼ円錐形に近いこの島を約1時間~1時間半かけて周囲4.4kmを歩いて一周するのです。左に山を見て、右に海を眺めながら、人とも車ともいっさい会わず、道幅2~3㍍の砂利道を延々と歩くのです。
 2回目(冬)の時には、佐賀の幼な友達とたわいもない話をしながら歩いていました。その時何かが飛んで来ました。それは初めて見る『波の花』でした。まるで石鹸の泡を大きくした様なものが、海から次ぎから次ぎへと飛んで来るのです。
 3回目の時は、港で言われました。「この島を一周するのなら、この棒を持っていきなさい。イノシシが出没するかも分からないから」。私は一瞬怯みましたが、「折角ここまで来てあの感動を味わえないって!」。勇気を出し棒を持って歩き出しました。年老いた白髪のおばさんが棒を振り回しながら歩く姿は滑稽としか言えません。

 最近の遠出は日本の最西端の与那国島でした。パンフレットの写真がとても素敵で、どうしても行きたくなったのです。岬の草原に放牧された数多くの馬達が私を呼んでいるのです。
 そして馬達に出会ったのです。“やっと此所まで来たか”と胸を張って大きく深呼吸をして下を見ました。そうしたらどうでしょう?写真には写っていなかった馬の糞が一杯。

 その時、65年前の幼い私(5歳)を思い出しました。佐賀の片田江交差点より大財方面には昔はよく競馬場の馬が手綱を引かれて歩いていました。そしてその後には大きなお大きな糞が残っていたのです。子供の目には異常に大きく見えたのです。あの頃、佐賀の神野付近には確か競馬場があったはずです。もうとっくに無くなっていますけど。

 この様に島を巡っていると思いがけなく昔の佐賀や昔の自分に出会えるのです。だから「島巡り」が辞められないのです。
 これから先も元気でいる限り島を訪れたいと願っております。

 私の拙い文をここまで呼んで下さってありがとうございました。
 皆様どうぞお元気で!

*福岡栄城会では、同窓会員の方々の投稿をお待ちしております。
投稿先 eijo.fukuoka@gmail.com



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