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佐賀西高女子バスケ部・事始め! [西高1回生寄稿集]

西高1回生 伏見 滋子

 私は、「搆口」という、その昔と言っても江戸時代ですが、長崎街道を東から佐賀城下に入る人に眼を光らせていた番所のあったところで育ちました。子供のころは、そのようなことは露知らず、のんびりとしたものでした。
 その「搆口番所」跡が最近の発掘調査で石垣が見つかり、現在公園化がすすめられているようです。 
かまえくちはし.jpg
構口板書跡碑.jpg
*構口番所跡碑
構口 説明.jpg

 高校は佐賀西高にしたのですが、入学生徒数は450名、女子2クラス・男子7クラスで、佐賀高校の男女半々とは大きく違っていました。当時の女子の大学進学率はまだ低く、進学校と思われていた西高への女子応募者は少なかったのです。
 さて、クラブ活動ですが、城東中ではバレーボール部でしたが、高校では文系クラブでおとなしく過ごすつもりでした。しかし、動かないと物足りず運動系クラブを求めることになりました。ところが女子が入れる部は、テニスとバスケットの2つしかありませんでした。
 迷った私は、体育の先生におたずねしました。「どっちがいいでしょうか」
 その先生というのが人もあろうに、かの野口七郎先生。「そりゃあお前、バスケットボールは全身運動やけんな」
 かくして、バスケットみたいにきついのはしないといってた気持ちはどこえやら!即入部。
 「お前たちゃ、いつまですっとな。大学受験はどうするとや。」と3年生の秋、担任の桜井英二郎先生があきれるまでボールを追いかける生活が始まりました。
佐賀西女子バスケ部.jpg
*卒業アルバム、中央は野口先生 

 始まったばかりの西高バスケット部は、経験者は、HさんとIさんだけ、試合のときの応援プレイヤーのMさん、あとNさん.Yさん、超初心者の私。
 私の役目は、マイボールになったらスローインして、ゴール目指してひたすら走り、Hさんからのロングパスを必死でキャッチし、そこへ走ってくるHさんにパス。かっこよくいえばアシスト....…?
 それしかできなかったのです。
 
修猷館との交流試合.jpg
*卒業アルバム、修猷館高校との交流試合

 私たちが1年生・2年生のときは佐賀高校と西高は、同じ校舎にいながら別の学校でした。佐賀高校は西校舎(現西高)と北校舎(現北高)に分かれており、この2年間は新設校舎の東高と合わせて4つの高校があったのです。
 ということで、佐高と西高が対戦相手になることもありました。
 双方のベンチに七郎先生の姿はない。心細い思いもありました。
佐高VS西高 バスケ女子.jpg

 ただ、ただ、ボールを追いかけて!それしかなかった3年間。
 大切な青春の思い出。かけがえのない宝物です。


*佐賀高校のバスケ男子は、昭和28年新潟で開催された第6回全国高等学校バスケットボール選手権大会で優勝、10月の国体でも優勝しています。
*戦前においては、佐賀高女・成美高女もバスケで全国大会(明治神宮競技大会)に出場しています。
 前身校の沿革を参照下さい。
*福岡栄城会では、同窓会員の方々の投稿をお待ちしております。
投稿先 eijo.fukuoka@gmail.com

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