佐賀市内には、その昔長崎街道が通り、近年その道筋が整備されています。東の構口から西の高橋までの約6キロを、今回歩いてみました。高校生の時には気にも留めなかった「恵比寿像」が道々に点在し、案内板も設置してありますので、のんびりとした散策ができます。
*一部、昭和30年から40年代の当時の写真も併せて掲載します。
「佐賀市教育委員会 提供」転載厳禁です。
 街道筋は構口から、江戸期の町名でいえば、牛島町・柳町・蓮池町・呉服町・元町・白山町・米町・中町・多布施町・伊勢屋町・伊勢屋本町・点合町・六座町・長瀬町・八戸町を経て、西の出入り口である高橋まで続きます。慶長年間に佐賀城下が整備された際に、城下の北縁に沿って街道を通したことから、20数か所の「曲(まがり)」があり、今日でもそれが確認できます。
 *長崎街道は東の入り口である「構口」から西の入り口である「高橋」まで、佐賀城下の縁を沿うように道を通した為、20数か所の曲がり角がありました。江戸時代の二重鎖国政策もあり旅人の従城下立ち入りを嫌った結果と言われています。また城下の街道筋には、城下を支える商工人が配され、町人町が街道の東西に連なりました。徒歩での往来で栄えた街道筋でしたが、近年の自動車の登場から、構口から高橋までの直線道路が昭和6年12月にまづ構口から工事が始まり、東と西で交互に工事が進められました。牛島橋と材木橋が昭和7年6月同時竣功であることは、最初の工区であった事が石柱からも読み取れます。
 *昭和11年に高橋までの道が完成しました。これが昭和世代が言うところの「貫通道路」です。開通当時は車も少なく、自転車で道路の真ん中を走りながら「貫通道路ツーツラツー」と口ずさんだと言われています。
 *佐賀バイパスができるまでの貫通道路は国道34号線でしたが、現在は辻の堂の先、平成にできた与賀町交差点まで国道264号(江見線)となっています。同国道はここから北に向かい、旧紡績通り・堀江通りを経て、国立病院前立体交差点で、国道34号線(佐賀バイパス)に接続しています。

 *牛島橋・・・「構口交差点」より「貫通道路」に架かる昭和7年6月竣功のレトロ橋

*紺屋橋・・・「牛島橋」と同時に架けられた。
 
 *紺屋橋の陸橋より見る「貫通道路」

 *材木橋・・・これも昭和7年6月竣功となっています。
 
  *牛島橋と材木橋との間には、旧国鉄佐賀線の高架鉄橋がありました。神崎方面から一直線に来た国道34号線は、この先でカーブし市内へと進んでいました。国鉄佐賀線高架はさながら、市内に入る大門の様な雰囲気がありました。

高架跡は平成に入り更地にされ、道路(大財六丁目から南佐賀東)が平成25年5月に開通、跡地付近は田代二丁目交差点となっています

 *バス停に駅名が引き継がれています。

*構口から柳町のルート・・赤い☆印に恵比寿さんが鎮座
 
 *構口交差点角、構口橋方向左手に鎮座

四角石柱に「ながさき 右」・「こくら 左」刻印。側溝にも駕籠かきの意匠が施されている。
 *搆口周辺が整備されています。

*佐賀城下東入口「牛嶋口跡」資料・・https://www.city.saga.lg.jp/site_files/file/2018/201812/p1cvpmt6tk1h6k1bsdc0f1hkllgl4.pdf
https://www.city.saga.lg.jp/site_files/file/2019/201901/p1d1fkts5h1v0d2f51s2tjds1a414.pdf

道しるべ恵比寿・・構口番所跡に鎮座。先代は傷みが激しく2代目。

 *街道は、旧JR佐賀線後の新市道を横切り、直進します。

 *こととい(言問)恵比寿・・お顔が可愛いい。

 *牛島町公民館・・・街道沿いに時間が止まった木造屋。校区の公民館は循誘公民観が表示されるので、今は役目を終えたのかもしれない。

 *松亀恵比寿

 *幸せ恵比寿

*思案橋・・長崎街道の道筋はカラー舗装となってます。

 *マンホールの蓋はムツゴロウ!

 *野中烏犀圓本店 登録有形文化財

 *説明版
 野中家は「野中烏犀圓」の製造販売を家業とする老舗で、初代源兵衛氏が寛永3年(1626年)に創業した。寛政8年(1796年)に生薬「烏犀圓」の製造販売を藩から許され、その際に建てられたのが現存する町家とされ、「冷善楼」と号される座敷では、藩の役人が薬の検査を行ったと伝えられる。
 広い漆喰壁、正面中央の大破風や看板を吊るす屋形が江戸時代の商家の風情を今に伝えている。佐賀県遺産会議

 *南里邸・・小路の右手。市内で最古の町家と言われ、平成25年佐賀市景観指定重要建造物に指定、修復工事を経て一般公開されています。南里呉服店発祥の地。

 *南里邸角向い、柳町八丁目の道標。街道はここで左折しています。市内の長崎街道の道筋は城下を迂回する為、随所に道標があります。

 ☆一寸!寄り道・・南里邸から、道標のある十字路を直進しますと、正保以前の長崎街道に至り、ここを右折して進むと、牛島天満宮です。境内に架かる太鼓橋は宝暦8年(1758年)造立です。
 ・牛島天満宮・・鍋島勝茂公が佐賀城築城に際し、城の鬼門として慶長年間に遷座されています。
 ☆天満宮本殿
☆境内の大楠

 ☆牛島天満宮から更に北進、循誘小学校の横を通り、十間堀川に出ます。清心橋の先にある清心院は、城の東北に位置し、城の鬼門鎮護の道場として、西北の天祐寺とともに佐賀城の出城でもありました。江戸期の城下図を見ますと、天祐寺から清心院の先まで十間堀川が東西に流れていて、城の外堀だったことがよく分かります。
  

 ・清心院・・永正年間(1510年前後)に龍造寺胤家が居館とし、その子斎亮が僧となり、清心院と名乗り、居館を寺として今日に至っています。門前には六地蔵が鎮座しています。

 
 長崎街道筋に戻ります。
 
 *さぶとん恵比寿・・台座がざぶとんの様に沈み込んでいる。

 *たたみ恵比寿・・畳屋さんの角にある。案内柱には「半跏恵比須」とあるが、説明版には「安座恵比須」となっています。不思議!です。

 *柳町の歴史的建物群のご紹介・・ここは長崎街道沿いに明治から大正にかけて、商業地として繁栄した街でした。佐賀市都市景観条例に基づき、平成11年から「長崎街道・柳町都市景観形成地区」に指定され、建物の修復整備が進められ、街並みが一新しています。

 *旧久富家住宅・・大正10年、県下でも有数の履物商を営む久富亀一によって建てられています。古民家再生事業として建物外観を保存・リノベーションして、平成27年(2015年)に開館。1階はカフェ・フォトスタジオ、2階は複数のテナントが入居している。白漆喰壁が美しい。

 *旧三省銀行・・明治15年に建築された蔵造商家で、明治の銀行創生期の遺構を残しています。
 ・「佐賀城下ひな祭り」での柳町
 ・三省銀行内部の雛飾り

*旧牛島家住宅・・旧下今宿「佐賀市朝日町」にあった建物を、道路拡幅に伴い、解体移転。明治時代末期の姿に復元しています。
 
*森永家住宅と長崎街道名産「富士の煙」製造所跡

 *呉服恵比寿・・旧森永家住宅前に鎮座する。

 *旧中村家住宅と八坂神社の大楠・・明治18年建築。古賀銀行開業時の社屋として活用後、明治39年に道向かいに古賀銀行が新築移転後、中村家の住宅となっています。
 
 *八坂神社・・初代藩主・鍋島勝茂公により御城の鬼門除と国家太平を祈願して勧請された。

 *旧古賀家・・平成3年に佐賀市所有、建設当時の姿に復元・・
*旧古賀家住宅は改修工事の為平成29年8月(予定)まで休館中!但し「第17回佐賀城下ひなまつり」期間中は、有料開館(2017/02/11~03/31)

 *古賀善橋・・・旧古賀家住宅と旧古賀銀行の裏手柳町高木町の境に、古賀銀行を興した古賀善兵衛の手によって架けられた橋がある。

 *旧古賀銀行・・平成4年7月に佐賀市の所有となり、建築当初の外内装へ復元を図り大正モダン建築を今に伝えています。

 *旧古賀銀行・・裏手からは和の風情(瓦葺)も見て取れます。

 *旧古賀銀行 三景・・ 長崎街道・裏庭・裏手の堀は佐賀江川に通じてます。

 *馬場家住宅・・鍋島藩の藩医宅で、開業していたと伝わります。18世紀末から19世紀初期の建築とみられ、表の腕木門も同時期と考られています。表構えは他の町家とあまり変わりませんが、家の間取りは武家屋敷に近い構造です。

 ☆一寸道草!八坂神社と旧中村家住宅との間の小路を南に進みます。
 *成就院橋(明治33年12月竣工)・・八坂神社から肥前通仙亭に向かう小路に架かる。江戸期橋の西北に成就院と盲僧成就院の屋敷があったのが、橋名の由来です。

 *肥前通仙亭・・佐賀市の地場産品(鍋島緞通、佐賀錦、肥前名尾和紙、肥前びーどろ、諸富家具)及び佐賀のお茶文化と高遊外売茶翁(煎茶道の祖)にまつわる資料を展示

 *旧福田家住宅・・大正期の近代和風建築

 *江戸時代の路地案内「通小路」・・

 *柳町の歴史的建造物は「佐賀市歴史民俗館」が統括し、観光資産として、平成28年4月より、旧森永家と旧久富家が加わり、現在7館となっています。

佐賀市歴史民俗館 HP http://sagarekimin.jimdo.com/

 *休館 月曜日 9:00 ~ 17:00 入館料 無料
 *無料駐車場あり。周辺は一方通行の為、標識を必ず確認ください。

 *呉服元町交差点より柳町通りを見る。左手は観光バス駐車場となっています。

☆故郷では地域再生策として、観光資源の構築・整備を図り、柳町の歴史的な建物群は10年来をかけて充実して来ています。帰省、同窓会参加の折にでも、久々に歩いてみては如何でしょう。