国鉄佐賀線は、国鉄再建法の第2次特定地方交通線に指定され、国鉄民営化の直前の昭和62年(1987年)3月27日で全線廃止となりました。佐賀線の廃線跡は、大財六丁目交差点から南佐賀東交差点までが市道になり、南佐賀東交差点より諸富鉄橋展望公園まで総延長約5キロの(名称:徐福サイクリングロード)歩行者・自転車専用道路になっています。
 ・「みなみさが駅跡」
 時間が止まった「運賃・時刻表」 今佐賀駅バスセンターから南佐賀バス停の運賃は260円です。
 ・夏の「みなみさが駅跡」
 ・桜のトンネル
 ・国道208号と立体交差の「ふれあい橋」付近
 ・諸富町、県道48号佐賀佐賀外環状線と交わる所にある県重要無形文化財「三重の獅子舞」のモニュメント(獅子の広場)
 ・国鉄諸富(もろとみ)駅跡に建てられた佐賀市立諸富文化体育館(ハートフル)
 ・筑後川昇開橋(正式名:旧筑後川橋梁) 平成15年5月 国指定文化財。
 ・記念碑説明抜粋
 ・筑後川を渡る「渡し舟」や佐賀馬鉄の説明碑もあります。
・大川から
 ・徐福伝説 秦の始皇帝に願い出て、不老不死の薬草を求めて渡来した徐福が上陸した地、との伝説があります。国鉄佐賀線跡のサイクリングロードの名称の由来ですね。全国に徐福伝説はあり、佐賀県内にも他に伊万里上陸説があります。徐福が生きた始皇帝の治世は紀元前三世紀ですから、日本では弥生中期にあたり、吉野ケ里が環濠集落への発展途上と推定される時代です。佐賀・久留米間の西鉄バス江見線が走る国道264号が当時の海岸線(沿線に貝塚が多い)ですから、実際の上陸地は千代田あたりでかも知れません。海岸線の南下に伴い伝承も南下してきたとも思われます。但し、歴史ロマンとしては分かりやすい土地ですね。
 ☆国鉄佐賀線、佐賀市内の駅:佐賀駅、東佐賀駅、南佐賀駅、光法(みつのり)駅、諸富(もろとみ)駅の5駅がありました。佐賀線ではディーゼル急行「ちくご」が熊本⇔長崎が運行されていました。
 ☆国鉄佐賀線橋梁のレールの意匠がある市道「新曙橋」平成25年3月竣工。(29)蓮池・橋津と(28)今宿・道崎のバス路線が渡ります。
 ☆同じく八田江川には「佐賀線偲橋」平成5年3月竣工。親柱が「佐賀線を走るSL」の意匠に拍手!!
 ・(21)諸富・橋津のバス路線となっています。
 ☆国鉄佐賀線は昭和10年5月25日に開通しました。それまでは佐賀と諸富の間に馬鉄が通っていました。佐賀馬車鉄道(株)が明治37年(1904年)から、水ケ江の明治橋諸富まで運行を始め、翌年には旧市役所・御幸橋経由で旧佐賀駅まで延伸しています。大正元年(1912年)川上軌道と合併し佐賀軌道(株)になりましたが、昭和3年(1928年)6月、路線は馬から乗り合いバスにて代りました。横小路バス停前に病院長が個人で記念碑を立てています。病院の敷地には、当時の佐賀軌道(株)の本社がありました。
 ・諸富鉄橋展望公園にも説明碑が有ります。「昭和2年、馬鉄に代わり6人乗りのバスが走るようになりました。」とありますが、佐賀市史では昭和3年6月26日馬鉄休止とあります。
 ・ ☆現在市内を走るバス

 ☆廃線つながりで話題をもう一つ!佐賀市役所の南東にある市役所前公園に「D51」が鎮座しています。説明版によりますとD51がのるレールは旧佐賀駅時の長崎本線のものとの事。市役所がここに新築移転したのが昭和50年(1975年)5月で、佐賀駅が高架で北に100㍍移動したのは昭和51年2月でした。

 ☆おまけ!「徐福」つながりでご紹介。金立にある徐福館に至る高速道路の手前に金立コスモス園があります。春は菜の花と桜で、隠れた人気スポットです。

 廃線跡などどちらかと言えば侘しく荒廃した風景を想像してしまいますが、実際の国鉄佐賀線跡は市道やサイクリングロードに転換活用されています。