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『古いゼンリン住宅地図に思いを馳せ』 [西高1回生寄稿集]

西高1回生 江口 浩二

 梅雨空が続き、部屋の机の中の書類の断捨離を思いついた。
 七十歳も過ぎるとそろそろ身の回りの片づけも必要だろう。
 その時、古いゼンリン住宅地図(佐賀市中心部)新聞紙を広げた大きさのスポンサー提供による各家庭に配布された住宅地図が目に留った。今はときめく大企業になった(株)ゼンリン佐賀営業所の作成によるものだが、残念なことに作成年度が記載されていないのではないか。しかし、佐賀市中心部の詳細な地図に大いに興味がそそられた。
佐賀市市内中心部 地図 加工後.jpg

 私の実家は中の小路にあり、その周辺にある商店名から地図の作成年度を探る事にした。まず佐賀玉屋だが、既に地図上では中の小路交差点に記載があるので昭和40年度以降である事は分かる。
佐賀玉屋 現在と昭和40年代半ば.jpg
佐賀玉屋は昭和8年に呉服町に開店し、昭和40年に現在地に移転している。佐賀玉屋の移転により、町の流れが変わるとの危機感から昭和41年6月18日、呉服町、元町、白山銀座の3つ商店街が「銀天夜市」を立ち上げたそうだ。ちょうど高校を卒業し、余計な勉強をしていた頃だ。

さが銀天夜市 山車.jpg
さが銀天夜市 白山商店街.jpg
さが銀天夜市 白山おまつりひろば.jpg

 佐賀玉屋の前のみずほ銀行の名前が第一勧業銀行佐賀支店とあるので、これが地図の作成年度の手掛かりになりそうだ。昭和46年10月に 株式会社日本勧業銀行と株式会社第一銀行が合併し、株式会社第一勧業銀行と商号変更しているから、地図の作成は昭和46年度以降である事が分かる。
 復興通りの角にある天山酒店の前にあった喫茶店「もんせふり」も記載されている。ここには私の幼いころ回転饅頭の店があり、良く食べていたが1個50円だったような曖昧な記憶がある。
復興通り 元天山酒店.jpg

エスプラッツ.jpg復興通りを北の方に辿ると、「おもちゃの植松」「落合めがね」の記載がある。「落合めがね」は私が近視になり初めて眼鏡を購入した店だ。
メガネの落合 上林茶舗.jpg
 余に分厚いレンズだったので愕然としたことを思い出す。多分ガラスレンズで安物だったのだろう。
 白山二丁目に目を転ずると、書店の「金華堂」がある。高校生の頃、タダ読みで何時間も過ごせたが、店員さんには迷惑がられた。
金華堂書店 白山通り.jpg

 白山二丁目の東には「永池本店」がある小学校の同級の実家だ。遊びに行った時、勉強部屋が大きな酒樽で作られていて、大変驚いたものだ。
旧永池本店 エスプラッツ.jpg

 「永池本店」の南に「コイケスポーツ店」がある。「コイケスポーツ店」では野球のグローブを購入して貰った。私は目が極端に悪く、トンネルはするし、ボンフライは捕れないし散々だったが、社会人になり、会社の同僚との懇親ソフトボールではそこそこ役に立ち、親にはとても感謝している。
島内鮮魚店.jpg 「コイケスポーツ店」の南側の東魚町には「島内鮮魚店」がある。ここにも小学生時代の同級生がいた。確か松本清張原作の佐賀を舞台にした映画「張り込み」の撮影も「島内鮮魚店」の前で昭和33年に撮られたが、「島内鮮魚店」の二階から覗き見した記憶がある。
松川屋跡.jpg 佐賀のロケでは、一万人の見物客が出て、多数の群衆の中で撮影の行われた佐賀駅では、人よけのためにロープを結び付けた駅舎の柱がズルズルと動き出し、警察が中止を求める騒ぎとなったそうだ。また、大木実ら主演俳優の宿泊した旅館の周りをファンが取り囲み、警官隊と押し合いになったと聞いている。
 昭和33年の時代は映画ぐらいしか娯楽がなく、高峰秀子、田村高広等の有名人が佐賀に来たともなれば、そんな騒動も分かる気がする。
 映画館と言えばこの住宅地図には「佐賀日活」「佐賀東宝」「セントラル会館」「平劇」の記載はあるが、いつ頃まで存在したのだろうか。
セントラルパレス 佐賀日活.jpg
セントラルプラザ 佐賀東宝 佐賀松竹.jpg
閉館のセントラル会館.jpg

 呉服元町には「大坪書店」、松原3丁目には「積文館」、良く利用させて貰った。
積文館 跡.jpg

西高時代に立ち読みしながら、清純な?女子高生の姿にほのかな憬れを抱いたものだ。スマートホンもない、パソコンもない、カラオケもない時代に立ち寄るところは佐賀県立図書館と本屋しかなかった。
南里本店 跡.jpg 古いゼンリンの住宅地図を拡大鏡で見ながら、住宅地図の作成年度の分かる糸口を探るがなかなか難しい、その中で呉服元町に「南里本店」の記載がある。又「窓の梅ショッピングビル」の記載もある。「南里本店」は昭和49年に4階建ての衣料品店「南里本店」を新築開業している。窓の梅 寿屋 跡 佐賀県国保会館.jpg又昭和54年には、明治後期から呉服町に商店を構えていた「窓乃梅」が寿屋と共同で大型店を開業、下層階に核店舗として寿屋のスーパー、上層階窓乃梅の衣料品エリアが入居する形で開業している。
 これらのことから推定すると古いゼンリンの住宅地図の作成は昭和54年から数年内だろう。今からおおよそ40年前と推察できる。
 佐賀市内の様相は40年後の現在、大きく変容している。「おもちゃの植松」、喫茶店「もんせふり」、「コイケスポーツ店」、「佐賀日活」、「佐賀東宝」、「平劇」、「大坪書店」、「南里本店」、「窓の梅ショッピングビル」・・・・・これ以外にも無くなっている店は数多ある。
大坪書店.jpg

 40年前のゼンリンの住宅地図を見ると、佐賀市の中心部はまるで『千と千尋の神隠し』のようだ。
「中央マーケット」「松原親和マーケット」の裸電球の輝きと行き交う人達の賑わい、乱雑に置かれた外国の缶詰、魚屋、野菜屋、餃子屋、肉屋、乾物屋、なんでもありの世界だった。
中央マーケット.jpg
松原親和マーケット.jpg

50年代の中心街 略図.jpg
エスプラッツ出入口.jpg
長崎街道 元町説明板.jpg
昭和50年台 佐賀市中心街地図 松原.jpg

時代は変遷する。平成も終わりだ。
1枚の古いゼンリンの住宅地図から、思いを馳せた。
果たして将来グーグルマップから思いを馳せる事が出来るのだろうか。

*平成30年7月7日(土)から8月4日(土)まで、第53回「さが銀天夜市」が開催中!!

*佐賀西高校「栄城」5回生のホームページに1996年12月大晦日の佐賀市内の風景写真がアップされています。「佐賀の町並み」には「松原商店街」や「積文館」・「まだアーケードのある呉服町入口」などの当時が写っています。
*福岡栄城会では、同窓会員の方々の投稿をお待ちしております。
投稿先 eijo.fukuoka@gmail.com


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